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「思想家」という言葉

現代社会は、「万人総思想家社会」なのではないでしょうか。
最近ふと思ったのが、「思想家」って変な日本語だな、ということです。
何も「考えない」で生きている人なんていないでしょう。生きているなら何かしら思うし考えるものです。
では「思想家」という肩書きはなぜ存在するかといえば、以下の二点を満たす人を一般に「思想家」と呼ぶからではないでしょうか。

①普通の人とは一線を画す深い「思想」がある。

②自分の「思想」を、多くの人の目に届く形で発信している。

しかしまあこの定義もあいまいなものです。①に関しては完全なる主観ですから、どうしようもなく自己申告であるように思います。
結局、わかりやすいのは②の方です。いろいろな場所に呼ばれてしょっちゅう講演をしていたり、毎日コメンテーターとしてテレビに出たり、本がたくさん売れていたりしたら、「思想家」を名乗って構わないような気がします。
しかし考えてみると、現代では②の方の定義を満たすのは簡単なのではないでしょうか。
SNSやブログなどで、かなり多くの人が日常的に自分の考えを発信しています。
軽率なテレビ番組などよりも、一つのツイートの方がよほど多くの人に真剣に何かを考えさせるきっかけになるかもしれません。
ネット上の発信はリアルタイム性がなく、誰でも、長期にわたって閲覧可能なことが多く、「多くの人の目に届く形で発信」という条件を十分満たしているように思います。

一昔前まで、自分の思いを世間に発信しようと思ったら、紙媒体や、テレビなど大規模な公共の電波に頼らねばならなかった時代が続いていました。
「思想家」という言葉はその頃の遺物と成り果てたように思います。
もはや肩書きに「思想家」が食い込んでくる時代は終わりなのではないでしょうか。
現代に生きる誰もが「思想家」であって、「考えを世間に発表して世の人の思考を促す」という役割は、すべての人間のものになったのでしょう。
全ての人が、「思考を促す」存在であり、「思考を促される」存在であるのです。

それゆえに、自らの「無責任な情報発信」に対して不寛容であるべきでしょう。
自分が「思想家である」という自負があるのなら、出典も定かでないソースに基づいて何かをボロクソに酷評しないでしょう。
「あの映画はクソだわー」というだけの発信もなくなるでしょう。何かを非難するなら、最低限自分の目で真実を見極めて、「何が、なぜダメなのか」を伝える責務があるはずです。
今日の情報化社会の中で、新しい意識
「我々一人一人が思想家であって、社会に自分の考えを発信しているのだ」
が求められているし、これを持つことで、より良く、より責任感のある情報空間が生まれていくのではないでしょうか。
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プロフィール

ken-hori

Author:ken-hori
現在慶應義塾大学3年生。理系。情報系。
ニュースから趣味のことまで、あらゆることについて考えて自分なりに結論を出します。
漫画と南国とお酒が大好きです。
今のマイブームはプロジェクトXを見ること。

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